社会福祉施設における情報の在り方、取り扱い方に関心を持ち、施設において積極的に情報公開を行っていくということは結構大変なことなのだと思う。情報の取り組みの度合い意気込みによって、それに伴う管理者の情報処理量は増えていく。限られた時間の中で考えると、何かを削って時間を作らない限り情報管理ついては納得のいく仕事はできない。管理者が施設の業務のすべてを知っていて、すべての業務に口出したり関与するということは不可能である。出勤時間という限りがあるのだから、その中で工夫をしながら時間を有効に使うしかない。

理想的には50人程度の定員の特養がもっとも質の高いサービスを提供できるのではと考えている。このぐらいの規模なら30人程度の職員の管理をすれば事足りる。このぐらいの数が一番把握しやすい。職員会議を月1回開くだけでいろんなことを周知することが可能な人間関係の濃密さがあると思う。内部研修なども年数回すればお互いの考え方が見えてきて相互に理解できる。職員の人間関係は家内制手工業のような段階とも言えよう。この施設が少しずつ大きくなってくるとこういう関係性では回らなくなってくる。マニファクチュアから機械制大工業へと発展する段階を考えると、弘済院第1特養はマニファクチュアの段階にとどまっていると思う。どちらにせよ家内制という身近で濃密な人間関係は崩れてしまっている。

規模の小さい施設の職員が30人とすると、弘済院第1特養(定員270人)の場合は厨房職員を除いても150人の職員がいる。単純に考えると職員の人事管理に5倍の労力がかかる。ところが、そこに情報公開の要素が絡んでくると複雑になってくる。例えば月1回の会議ですべてのことが周知できる施設があるとする。小規模施設なら人間関係が濃密なのでこういうことも十分可能だと思う。弘済院第1特養の場合は、職員会議、主任会議、サービス改善会議、ユニットリーダー会議、給食会議、事例検討会、ケアマネージャー会議、入所選考委員会、12ユニットでのそれぞれのユニット会議等が月1回開催。毎月平均8回開催している内部研修会。感染症対策、褥瘡予防、身体拘束廃止、虐待防止などの各種委員会の会合、月3回程度開かれる看取り会議などを入れると1カ月に40回ほどの会議や委員会が開かれている。当然すべてに出席はできないので、それらの会議の把握は事後報告に頼らざるを得ない。グループウェアのデスクネッツNEOでこれらの報告書が回覧され、ビジネスチャットのchatworkでそれぞれの会議の開催予定や会議速報が流れる。それらをすべて読んで、指示を出し、コメントを書く。会議だけでこの分量なのだ。それに加えてレクリエーション関係の報告、入退所の状況に関する把握、職員採用(常勤、非常勤)についての指示、食事サービスに関する指示など、いろいろ考えると半端な数ではない情報量である。これらの情報処理だけで、小さな施設の100倍ぐらいの労力が必要になってくる。

僕はどちらかというと、ケース記録やケアプランを見て、共に考えたり指示を出したりするのが好きなのに、その部分はそれぞれの部署の主任に任せざるを得ないのが現状である。こういう多様な情報処理が日々なければ、それらに費やす時間で利用者の中に入り、ケアプランを理解し、家族と仲良くなり、職員に深く関わることができるので、じつに家庭的な施設運営が可能になると思う。僕にとっての理想の施設だ。しかし、現実はそれを許さない。

ここの施設の管理は、たぶん他の特養の施設に比べるとちょっと忙しいのかな。というよりマネジメント感覚がなければ運営できないのではと思う。自分自身の反省としては、もう少しコンパクトに仕事ができれば、労務管理や人事管理も充実するし、実際のケアについても深く介入することができるのに、なかなかそこには行き着かない。1日3回の館内巡回(自分の日課に組み込んでいる)すらできない日もあり、デスクワークが続くと座っている時間が増える。こんな時にApple Watchが「立ち上がりなさい」と警告を出してくれるので、僕の一番の友達は今のところApple Watchなのかもしれない。

そんな大規模施設の管理をしてきてようやく5年間が過ぎた。本当のところ毎日が勉強であったと思っている。次々と困難な課題が出てくるけれど、それをみんなと一緒に解決していくことは結構楽しいし、やりがいもある。楽天的性格なのか、60歳を過ぎて毎日こんなに勉強できるのは大変恵まれている環境だと考えるようにしている。もちろん、スタッフの協力があればこそこんな大きな施設を運営できているわけだから、優秀なスタッフと出会えたことが一番のメリットなのかもしれない。優秀で楽しいスタッフがいるからこそがんばれるのだと思う。

若い頃に比べると体力は落ちているしメンタル面の耐性も低くなってきている。いろんな項目でマイナス面は出てきているが、逆にプラスの面も増えてきていることも事実である。年齢的に長くは勤まらないが、限られた時間の中でひとまずがんばっていきたい。(全力でがんばるなんて恥ずかしくて言えない歳なので、自分で納得できる仕事をしたいというところにとどめておきたい)